いざ、両国

2024-02-09

今、再び大相撲にハマっています。

巷で話題のドラマ
『不適切にもほどがある!』
1986年から2024年に
タイムスリップしてくる主人公のおじさん。
その娘のヤンキー女子高生と
ほぼ同級生と思われる私は
まさに1986年ごろ、
MTV系の洋楽と大相撲にハマっていました。

なんといっても寺尾に夢中でした。
寺尾が在籍する井筒部屋は
寺尾、お兄さんの逆鉾(さかほこ)、
霧島、薩州洋(さっしゅうなだ)、陣岳
と幕内力士を5人も擁し
見た目の良さも相まって
「井筒五人衆」としてとても人気でした。

その頃、
「相撲部屋対抗歌合戦」的な
バラエティ番組もよくあり
ビデオのダビングに必死でした。

クラスのN子ちゃんは
「白いウルフ」こと益荒雄(ますらお)推し。
N子ちゃんに、よく
「VANVAN相撲界」という雑誌を借りたなあ。

地方巡業の合間に
寺尾が近所のジャスコで
サイン会をするらしい!
とこれまた同じクラスのS子ちゃん情報で
2人で自転車を飛ばして
サインをもらいに行ったなあ。

その頃のスターはなんといっても
「ウルフ」こと横綱千代の富士だったでしょうか。
短大で同じクラスだった
Kちゃんは
「千代(ハート)かっこいい…」
とたまにつぶやいていました。

つまり、1980年代ごろ(昭和)は
10代女子も普通に大相撲を語るほど
今より老若男女すべての多くに
身近な時代だったのだと思います。

1990年代、平成になり
社会人になってからは
かろうじて
NHKの相撲中継をときどき観ていたかも。
親戚のつてで、地方巡業を
観にいったこともありました。
時代は若貴ブーム。
曙や武蔵丸などハワイ勢も人気。

しかし、その後
暴力事件や
相撲協会のゴタゴタなどを
ニュースで耳にするたび
次第に相撲を観る気が失せていき
そのうえ、仕事も忙しくなり、
相撲からだんだん気持ちが
離れていきました。

それから時は2020年代にとび
ぎっくり腰で通院した整形外科の
待合室のテレビで
寺尾に再会しました。
大相撲中継の解説者で出演していた
元寺尾である錣山(しころやま)親方は
弟子の阿炎(あび)が
コロナにおけるガイドライン違反の
不祥事によって休場になったことを詫び
反省させる!と
強い口調で話していました。
言い方は厳しかったけれど
必死で阿炎を守っているように感じ
なんだかわからないけれど
その姿にぐっと胸を掴まれた私。
なんとはなしに、
再びNHKの相撲中継を観るようになったのです。

そしたら、あれよあれよと
夢中になりまして。

この1月の初場所、千秋楽に
両国国技館に行ってまいりました。


推しの応援用タオルも準備。

豊昇龍が好きな息子はタオルを用意したのに
残念ながら、3日前から休場になり
「次に使う!」と言っていました。

昼ごろに国技館に着き、まずは腹ごしらえ。

今回とれた2階席で
照ノ富士弁当をいただきます。

2階ですけど、結構よく見えました。
すり鉢状の会場にある
中央の土俵を見続けると
相撲の世界に没入した感がすごかったです。
いつまでも、ここにいたい!と思いました。

千秋楽なので、
優勝決定戦で大盛り上がり!
見事照ノ富士が優勝し、
表彰式や優勝パレードも
見ることができました。
興奮したな〜

パンフを買ったので
家にあった1998年の一月場所のパンフと
見比べてみると


今回、優勝の座を照ノ富士と争った
琴の若のお父さん(先代琴の若)がいた!
私が相撲から離れている間に
生まれた子が育ち、
関取を目指し
お父さんの番付を超え、
大関になろうとしている。
ドラマだー!
(また興奮)

初場所が終わると、相撲ロスです。
次の3月場所は
大阪なので行けないですが
機会があれば
5月場所も行ってみたい。

しかし、その相撲ロスを
癒してくれるのが
国技館から連れ帰ってきた
抱き枕「だいふく山」。

行く前から、売店にあったら
買おうと目をつけていて
棚に1個だけ残っていたのを
ゲットしてまいりました。

たまらんフォルム。
肌が白くてすぐ汚れちゃいそうなので
Tシャツを着せてみました。

椅子に座らせたりしておくと
家族に
「一瞬誰かいるみたいに見えてびっくりするからやめて!」
と何回も言われるので
いつもは押し入れで大人しくしています。
むっちむちで、かわいいです。
このだいふく山といっしょに
次の場所が始まるのを待つ日々です。

そして最後に…
1月場所が始まる前に
亡くなられた錣山親方。
ここ1年はテレビで見かけるたびに痩せていき
ハラハラしておりました。
国技館でお会いしたかった。
でも、錣山親方のおかげで
相撲を好きになり、ここまできました。
これからも応援していくことで
親方のことを胸に刻み続けます。
ご冥福をお祈り申し上げます。