奥州水沢へいらっしゃい(其の三)

2024-09-05

其の一
奥州水沢へいらっしゃい(其の一)

其の二
奥州水沢へいらっしゃい(其の二)

に引き続き、其の三でご紹介するは
「斎藤實(さいとうまこと)記念館」です。

水沢には全水沢民の誉れであり、
誇りとして崇め奉る「三偉人」がおります。

一、高野長英
江戸時代後期の蘭学者
蛮社の獄(言論弾圧)にて幕府批判のかどで投獄されるも、脱獄。
人相書からのがれるため硝酸で顔を焼き、
人相を変えて逃亡し続けたことで有名。
しかし後に逃亡先に踏み込まれ、
抵抗のうちに死亡する激しい生涯を送る。
東京青山を歩いていた時、
スパイラルビルの近くで
「高野長英先生隠れ家」の碑を
見つけたときはびっくりしました。

二、後藤新平
明治から大正にかけて活躍した政治家
政治を目指す人、政治に携わる人でこの人の名を知らない人はいないと思います。
初めは医者であり板垣退助が岐阜で刺客に襲われた際、診察にあたったのが彼らしい。
その後、台湾総督府民政局長・満鉄総裁・東京市長・内務大臣等を務める。
東京市長(いまでいう都知事)の時の東京改造計画
(あまりに壮大すぎて「大風呂敷」のあだ名をつけられる)や
関東大震災後、内務大臣として提案した「帝都復興計画」が有名。
ボーイスカウト初代総長。名言多し。

三、斎藤實
明治から昭和にかけて活躍した軍人、政治家
海軍大臣、朝鮮総督、外務大臣、文部大臣、内大臣、内閣総理大臣を歴任。
陸軍によるクーデター二・二六事件にて殺害される。

この中でも、後藤新平に
少し心を奪われていた私。
妊娠中、生まれてくる子が
男の子だとわかったとき
名前を「新平」にしてはどうだろう?
と夫に提案して却下された覚えがあります。

さて、GWに水沢に帰った際、
私としては久しぶり(おそらく30年ぶりぐらい)に
「斎藤實(さいとうまこと)記念館」に行ってまいりました。

休みの日なのに、人影はまばら…

斎藤實と

奥方の春子夫人がお出迎え。


館の隣には旧宅、その奥に書庫があります。

展示物は斎藤實が生前の
賞状、礼服、勲章、書簡、
愛用していた生活雑貨などさまざまです。
夫人が所有していた品々も
多数展示してありました。

斎藤實が35歳のときに
20歳の春子夫人とご結婚。
薩摩藩士の子爵の家に生まれ
厳しく育てられた春子夫人は
英語が堪能なことと
洋装のセンスで夫の外交を助け
15歳も離れた斎藤を内に外に支えたようです。

館内には春子夫人が
オケージョンにあわせて仕立てた
ドレスや宝飾品が展示してあり
子爵とはいえ、つきあいなどの出費も多く
限りある家計をやりくりしながら
出席する式典やパーティにふさわしい装いを
用意した工夫なども知ることができます。


そして、館のメイン展示は
なんといっても二・二六事件関連の品々。
二・二六が起こる前から
国際協調に重きをおき、軍縮を進めたい政府に
軍国主義を推し進めたい軍が圧力をかけ
政府主要人の暗殺未遂などがいくつかおきていた
不穏な時代だったことが
分かりやすく展示してあります。

二・二六の前も陸軍将校が
何か企んでいるという
情報をつかんだ警視庁が
暗殺の標的になるであろう
政府首脳陣のひとり、
元首相であり内大臣の斎藤に
気を付けるよう話した際
「殺されたってかまわんよ」と言ったとか。
覚悟ができていたのでしょうか。

そして2月26日未明に多数の兵士が
自宅の寝室で寝ていた斎藤を襲撃。
蜂の巣にされた斎藤に
覆い被さった春子夫人が
「撃つなら私を撃ちなさい!」と叫び続け
夫人も重傷を負います。

その時の弾痕が残った鏡台、
夫人が着ていた血染めの浴衣が展示されており
いまや軍によるクーデターなど
他の国の遠い出来事のように感じる日本が
そういう時代もあったのだと
まざまざと見せつけられ胸に迫ります。

それにしても、ですよ。
夫のために、
「殺すなら私を殺しなさい」と
銃口の前に立てますか?
銃弾を受けられますか?
春子夫人の
ファーストレディとしての気概なのか
薩摩の血なのか
ものすごい女性がいたものだと
しばらくその展示の前に立ち尽くしました。

春子夫人はその後
第二次世界大戦時に
水沢に疎開し、
戦後もそのまま水沢で余生をおくり
98歳の長寿をまっとうします。

館の隣にある、夫人が過ごした旧宅や
おそらく大正から昭和にかけての
国内外の本や雑誌が多数保管してある書庫も
見応えがあります。

結婚して20年近くたつ夫に
「こんな面白いところがあったなんて!
なんでもっと早く連れてきてくれなかったの!」といわれ、
近代日本史が好きな高校生の息子も
「すげー!すげー!」と食い入るように展示を見つめ、
家族3人で午後に入館し、夕方の閉館まで居ることに。
それでも足りないほど内容の濃い「斎藤實記念館」でありました。

「後藤新平記念館」も「高野長英記念館」も行きたかったのですが
今回の帰省ではもうタイムアップ。
今度の楽しみにとっておきます。

庭にもご夫妻の銅像があったのですが
日本を代表する彫刻家、
朝倉文夫の手によるものだと
知ったのが、帰ってきてから。
もっと近くでじっくり見ればよかった!!

というわけで3回にわたって
奥州水沢の一部をご紹介してまいりましたが
このように派手さはないものの
しみじみと面白い街なのであります。

岩手にご観光の際は
ぜひお立ち寄りくださいませ。