今年のGW前半に実家のある岩手県奥州市へ帰省しました。
移動には東北新幹線を利用します。
奥州市が平成に合併する前は
「水沢市」と「江刺市」に分かれていたため
降車駅は「水沢江刺」です。
この駅の発車メロディーは
「君は天然色」。
大瀧詠一は江刺市の出身地なのです。
私は水沢市生まれなので、なんかくやしい!
いいもん、水沢には大谷翔平がいるもん。
そう、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが
奥州市水沢はあの大谷翔平の出身地!
いたるところに
「大谷選手がんばれ!」という
ポスターやら垂れ幕やらが掲げられています。
ただ、すでにご実家は引っ越されているようで
今はちょっと縁の薄い感じではありますが。
さて、帰った4月27日は水沢のお祭り「日高火防祭」の日。
いつも祭の日にちょうどよく帰れたためしがなく
ひさしぶりに「火防祭」が観られることになりワクワクです。
この「日高火防祭(ひたかひぶせまつり)」は
江戸時代?に防災祈願?として始まったらしく
(?が多くてすみません)
令和5年に岩手県指定無形民俗文化財に認定されたとのこと。
昭和の頃は「ひぶせまつり」じゃなく「かぼうさい」って言ってた気がするが…
おうしゅう旅浪漫HPより
https://www.city.oshu.iwate.jp/kanko/event/1/1677.html
消防団の「纏振り」を先頭に
9つの町ごとの「町印」「打ちばやし」「はやし屋台」が水沢の街を1日かけて練り歩き、
夜に駅前通りに一堂に集結、9台のはやし屋台の「揃い打ち」でクライマックスを迎えます。
その他、日中は25才厄年連、42才厄年連もオリジナルの舞で練り踊り、祭りに華を添えます。
まずは祭の名前にもある
「日高神社」へ参拝に。
親や祖母は「お日高さん」と呼んでいます。
はやし屋台には、三味線(島田に振袖姿の5人の中高生とお師匠様)、
小太鼓(桃割れに裃、振袖姿の小学生15~20人位)、横笛(大人2人)が乗り
それぞれの町の音律を奏でます。
私もその昔、
小学1年生と4年生の時に小太鼓、
中学1年生のときに三味線で
町内会の屋台に乗りました。
小太鼓を打つときの掛け声で「へーよー」と言うため
屋台に乗ることを「へーよーに出る」と言っていました。
例:学校にて
「○○ちゃんさ、今年へーよーにでる?」
「私は出ないけどお姉ちゃんが三味線ででるよ」
祭の1〜2ヶ月ぐらい前から
町内の寄り合い所で小太鼓の練習が始まり
毎回帰りにお菓子の詰め合わせの袋をもらえるので
それが楽しみで行っていました。
三味線の練習はお師匠さんの稽古場でした。
小太鼓と違ってむずかしく
三味線の竿に1、2、3、4、と番号シールがふってあり
譜面に書かれた番号の弦をおさえ、バチではじくという
にわか仕込みの特訓でした。
少子化の今となっては
屋台にあがる子供の確保に苦労しているとか。
町内でまかなえず、遠くからきてもらうこともあるようです。
小学生のころは自分の髪で桃割れに結ってもらうので
そんな経験めったにないし
(三味線のときの島田はかつらでした)
きれいな着物も着るのでテンションMAX!
観ているほうより出る方が楽しいのはどの祭も同じですかね。
それでも夜に華やかな屋台の数々は圧巻です。
屋台がそれぞれの町へ帰っていく姿も風情があってまたよし。
静かな地元の町をぬうように戻っていく屋台。家の前で屋台を出迎える人々。
水沢のもっとも賑やかで華やかな1日が終わろうとしている瞬間に立ち会えて幸せでした。
奥州水沢自慢はまだまだ続く!次回へ!