五郎スターダスト

2022-07-08

「鎌倉殿の13人」みてますか?
私はみてませんでした。
あまりそこら辺の歴史に興味もないもので。
なのに、とある回を
なぜかみたんです。
前の時間にやっていた番組の流れというか
本当に偶然または気まぐれに近く。

それは第23回「狩と獲物」という回でした。
源頼朝主催の富士の巻狩りが舞台のお話。
中盤、工藤祐経(くどうすけつね)が登場したとき
私の心がざわめきました。
「工藤祐経だと⁉︎まさか、まさか…?」
回の終盤、出てきましたよ。
我らがスーパー仇討ユニット
「曽我兄弟」が!!!!
思わず街角で初恋の人に
出くわしたかのような興奮状態。
そして物語はまさかの結末に…

日本三大仇討として
「赤穂浪士の討ち入り」と並んで
有名な「曽我兄弟の仇討ち」
(後のひとつはあまりよく知らず)
ざっくり言うと
幼い頃、工藤祐経に父を殺された
曽我十郎祐成(兄)と曽我五郎時致(弟)が
大人(22歳、20歳)になり、父の仇討ちをする
というお話。

私が「曽我兄弟」の弟
曽我五郎時致(そがごろうときむね)と出会ったのは
今から30年以上前の12歳の頃。
5歳から日本舞踊を習っていた私。
習っていた先生のもとでは
普段は年に2回、
冬の「踊り初め」夏の「浴衣ざらい」という
小さな発表会があるのですが
約4年に1回「総ざらい」という大きな発表会がありました。
その12歳の頃に「来年は総ざらい」という発表があったとき
うちの祖母が先生にお願いしました。
「孫に雨の五郎を踊らせて欲しい」と

日本舞踊には
振りが大きく活発な動きの「男踊り」と
楚々としてしなやかな動きの「女踊り」がありまして
おばあちゃんは、せっかくの晴れ舞台なので
しなしな、なよなよな踊りより
ぱーっと勢いよく派手な「男踊り」を
踊らせたいと思ったんでしょう。

半年間かけての稽古。
家でも自主練しました。
発表会の1週間前からは
東京から先生の先生がいらして
皆に最終稽古をつけてくれました。
その厳しさに緊張感MAX!
当日初めて衣裳を着たら、重いのなんの!
脚が上がらない、広がらない
手が肩から上に上がらない。
踊りの稽古だけじゃなく
筋トレも必要だったと思っても後の祭り。

しかも、舞台が稽古場の倍広くて
曲のイントロ部分で
舞台袖からガンガン歩いて
中央に位置し、キメポーズ!となるはずが
いつもの稽古のように歩いていると
舞台中央になかなか辿り着かず
タイミングが合わせが難しい!
リハーサルはしたものの
本番、舞台中央までいったところで
カーッと白いライトに照らされ
頭が真っ白になり立ち尽くしました。
「あれ、このあとどうするんだっけ?」
舞台裾をみると
バタバタと手振りする先生!
時間にして1分もないほどの瞬間ですが
先生も生きた心地がしなかっただろうに。

インターネットもスマホも無い時代。
「曽我五郎」って誰?何をした人なの?と深掘りすることもなく
踊りの意味もあまりわからず踊っておりました。
唄の内容は
曽我五郎青年が
心の中では倶不戴天の父の仇、
工藤祐経をいつか打つ!
という闘志を燃やしつつ
雨の中、恋人の遊女に会いに
大磯の廓(くるわ)に向かうという歌詞の内容でした。
アクションあり色気あり
ケレン味あふれる派手な踊りです。
「廓って何?」などとつっこまれるとイヤだと思ったのか
先生もあまり深くは教えてくれませんでした。
でも、私の中では日本舞踊を習っていた
10年ほどのなかで一番心に残った踊りとなりました。

今でも時々聴きたくなる、長唄「五郎時致」
曲の展開、歌詞がとにかくかっこいい。

その後大人になって
歌舞伎に興味を持ちました。
歌舞伎座がリニューアルする前のことです。
いろいろな演目を観て知ったのは
「曽我兄弟」をモチーフとした
「曽我もの」というジャンルがあるということ。

ある年の1月のパンフレット。
表紙が「寿曽我対面」。新春といえばこれ、という演目らしいです。
年末といえば忠臣蔵、みたいなものでしょうか。


「矢の根」も新春が多いかな。


劇団やアナウンサーの滑舌練習としておなじみ?
「外郎売」も五郎さんなんですね。


そして、「助六寿司」の由来である「助六由縁江戸桜」の助六も実は五郎さん。
この助六はですねえ、
恋人の花魁揚巻(あげまき)がいる吉原に顔を出すと
他の遊女から「助六〜!私の煙管を吸って〜!」と
煙管の雨が降るほどモテるという超色男キャラ。
それにしても海老蔵さんの助六は美しかった。
まさにはまり役でした。

曽我兄弟が生きたのは鎌倉幕府の時代のはずが
歌舞伎の演目では江戸設定になっており
「仇討ちイケメン兄弟」の設定が一人歩きして
いろいろ脚色された感があります。
主に弟の五郎が主人公になり
兄の十郎は脇役感がありますね。

だからか
曽我兄弟は江戸時代の人
といつの間にか思い込んでいたふしがあり
突然「鎌倉殿の13人」に出てきたとき
驚いたわけです。
当たり前ですが
歌舞伎のように派手な装いでもないし。
もうちょっと華のあるキャラクターで
演出してほしかったな…

そういえば以前
富士の麓の忍野八海に行った時
工藤祐経の墓があった!
写真にまで撮っていたのに
すっかり忘れていたようです。


長くなりましたが、最後に。
「鎌倉殿」をみた数日後
食品系のセレクトショップに行ったら
こんな梅干しを発見!
(ちなみに十郎うめぼしはまろやかでやさしい味
五郎くんはすっきりした味でした)

なんだろうか、これは。
今、私に「曽我兄弟」を思い出させようとするかのような出来事たちは、いったい。
「忘れないでね」という五郎さんのメッセージなのか?

と感じたのでこのブログに記させていただきました。

孝勇無双のいさをしは 現人神(あらひとがみ)と末の代も
恐れ崇めて今年また 花のお江戸の浅草に 開帳あるぞと賑しき
(長唄五郎時致より)